ねぷたの製作

弘前ねぷたは以下のような変遷を経て現在の形になっていきました。
①初期のねぷた(享保~寛政期 1716年~1801年)
四角い燈篭に飾りをつけたものや、野菜を模った組灯篭ねぷた。

②人形化(文化~文政期 1804年~1830年)
このころの町民には経済力があり、燈篭の大型化、人形化が進みました。

③組みねぷたの発達(幕末 1861年~1868年)
このころになり、「見送り」「高覧」に該当するものが登場します。弘前八幡宮祭礼(1682~1883年)の山車飾りの影響を受けています。

④組みねぷたの完成と扇ねぷたの登場(明治~大正期)
このころ「開き」が考案されました。「高覧」と「額」を改良して華麗な組ねぷたが完成しました。
また、初代藩主津軽為信の幼名「扇」と末広がりを意味した「開き」を応用して扇ねぷたが登場しました。

⑤現在のねぷた(昭和~平成期)
昭和の中ごろになるとバッテリーが普及し始め、昭和50年代に入ると発電機も使用されるようになり、照明はロウソクから電球になり、回転装置や昇降機も登場しました。昭和55年(1980年)に、「弘前のねぷた」と「青森のねぶた」は重要無形民俗文化財に指定を受けました。

(弘前観光コンベンション協会 ひろさき読解本より抜粋)
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