四神を置く

 1611年2代目藩主津軽信牧が、初代為信の意志をついで鷹岡城(後に弘前城と改名)を完成させたことから換算し、弘前城は2011年で築城400年を迎えました。
 さて、弘前城築城の際に指導力を発揮したのが、為信の軍師であった沼田面松斎祐光です。彼は易学・山命学・風水などをもとに、四神の中心であるところの鷹岡に築城すべしと為信に進言しました。四神とは青龍、朱雀、白虎、玄武という守護神のことで、風水・易学的にもこれが四方を押さえることが重要であるとされていました。弘前城が置かれた場所は、東に土淵川(青龍)、南に南溜池(朱雀)、西に京へつながる街道(白虎)、そして北に丘陵の(玄武)があり、軍事的にも理にかなった場所であるとされています。そしてお城ばかりではなく、神社仏閣もまた軍事的・易学・風水などを参考に配置されており、この津軽弘前の地が400年間栄え続ける土台となったのです。
 当会では、自分たちのねぷた小屋の位置を東西南北で区分し、それぞれのねぷたに該当する四神を忍ばせておき、その団体がどの方角に位置するのかを示すという遊びを提唱しています。弘前城において方位を示す基点は定かではありませんが、鬼門の最勝院と裏鬼門の長勝寺がそれぞれ北東、南西を示しています。よって、これらを結ぶ直線を引き、それに直角に線を引くことで東西南北の区域訳を行いましたのでご参照ください。(尚、西浜街道は西に京へつながる街道(白虎)であった時期があることから、西浜街道を北と西の境としました。)

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高照神社にある四神
青龍
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白虎
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朱雀
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玄武
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