重要無形民俗文化財 「弘前のねぷた」を制作・運行している団体が集う会です

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歴代会長による座談会

弘前ねぷた速報ガイドが特集号を発刊されるということで、当協議会の歴代会長が集い座談会を開催し、昔のねぷたについてや、当協議会についてなどを熱く語り合いました。お酒も入り調子が良くなり、語らいは3時間半にも及びました。全てをここに記すことは出来ませんので、14項目に渡る要約テキストを以下に書きます。なお、3時間半の全録音データを配信しておりますので、ご興味のある方はそちらを御覧ください。
3時間半の音声はこちら YouTubeの静止画で音声を聞くことが出来ます)


座談会日時:2020年6月28日(日)18時から21時30分まで
場所:寿司蔵
参加者:
初代会長 向外瀬ねぷた愛好会 小田桐武志氏 平成 6年9月~平成10年12月
2代目会長 桔梗野ねぷた友の会 松山憲一氏 平成11年1月~平成14年12月
3代目会長 茂森新町ねぷた同好会 三上富秀栄氏 平成15年1月~27年3月
4代目会長 東地区町会連合会ねぷた 大中実氏 平成27年4月~
チャータメンバーで会計を長年つとめた 前田一隆氏

目次(↓パソコンではページ内へジャンプしますが、スマホではしません)
1.弘前ねぷた速報ガイドの平成30年間の特集号について
2.協議会の生い立ちなどについて
3.昔のねぷた、今のねぷた・・・
4.ねぷたバガっ子について
5.ねぷた絵について
6.ねぷた後の鏡絵などの保存について
7.お酒について
8.運行時間やねぷたが嫌いな人いついて
9.今年の新型コロナウイルス禍について、各町会での動きは?
10.集合場所、集合時間について
11.弘前ねぷたまつりコンテストについて
12.協議会の会長となった経緯、協議会の行ってきた事業など
13.協議会の今後の活動について
14.七日日の意味について

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1.弘前ねぷた速報ガイドの平成30年間の特集号について
三上
以前、自分たちの団体の20周年誌を作る際、写真を集めるのが大変でした。今回、弘前ねぷた速報ガイドさんが平成30年間の写真を集めるのも大変そうですね。好きな人は毎年買っているようです。子供は大人に買ってもらっているのでしょうか?昔は各団体に注文をとって、まとめて購入していました。弘前ねぷたによく言われることで、金太郎飴みたいだという表現があります。しかし、本当は、各団体の考え方や取り組みが運行形態やお囃子、そしてねぷた絵にまで現れています。ねぷたをガイドする人やねぷた速報ガイドなどは、ねぷたのこういった見方を上手に伝えてほしいですね。
小田桐
本来は、合同運行の前夜祭までに間に合わせて絵を貼るのであり、ねぷたガイドに合わせるべきものではないと思っています。
松山
しかし、合同運行、観光化という波に合わせて制作側も譲歩してきた経緯があると思います。
前田
昔は路上社さんの撮影時期が早く、それに間に合うようにねぷたを制作しなければと一生懸命でした。今は陸奥新報さんと写真を共有しているようで、撮影締切が後ろに延びた感じです。私はねぷた絵が好きなので、ねぷた速報ガイドで事前に各団体の絵を予習してから本番を迎えています。本番中は、待機中に気になった団体の絵を見に行きます。

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2.協議会の生い立ちなどについて
小田桐
当協議会を発足する前に、2度のねぷたフォーラムを行い、協議会の設立気運を高めていった記憶があります。コーディネーターに西谷洌さん、パネリストに私と藤田謙三さん。設立当初の主要メンバーには、もう亡くなった、波多野厚緑さん、マルイ鈴木仕出し店の鈴木康之さんがいました。鈴木さんは仕出しやさんだったので、よくそこに集まって打ち合わせをしたものです。
協議会を立ち上げてから、ねぷた団体間のトラブルがかなり減ったと思います。会長同士が知り合いになったことで、調整が効くようになったためだと思います。
協議会に尽力してくれた役員で一番最初に亡くなったのは城北の藤田謙三さんです。最近では槌子の寺嶋赳さん、青葉会の波多野厚緑さんですね。亡くられた方々に対し弔意を表したいと思います(一同、頭を垂れる)
前田
当時、観光協会に相談し、サポートしてもらう運びとなりました。設立時は、『オラホのねぷたが一番と考えている団体たちを、うまくまとめきれることは困難ではないか?』と言われており、そのような中での出発でした。初代事務局長は鈴木康之さんで、20数団体からのスタートだったと思います。当時ねぷたまつりの観光協会の担当が坂本崇さんでした。
三上
うちの団体メンバーには、他の団体とトラブルになったら私に預けるようにと指示していました。会長同士が知り合いで飲みニケーションできていれば、大概のことは丸く収まります。
松山
マルイ鈴木さんが亡くなってからは、千代谷さんのお店で会合を開くことが多くなっていきましたね。魚金仕出し店でもやっていましたね。樽満の千代谷満さんにもお世話になりました。千代谷さんには長年監事を引き受けて頂いていました。

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3.昔のねぷた、今のねぷた・・・
小田桐
警察はとにかく制限をかけたがりますね。仕方ないのかもしれませんが、他の地域ではもっとおおらかに祭りができているところもあるように見受けられます。
三上
近年のねぷたは大型化しています。幅があると見栄えしますが、上乗りや引手など人数が余計にかかります。一方でコンパクトなねぷたは取り回しが利き、自由度が高い運行ができるメリットがあります。最近はコンパクトなねぷたがまた増えてきたんんじゃないでしょうか?同じ町内に5-6台の小さなねぷたが出ていました。数人の子どもたちが集まりつくるもので、1日で作ったものもあります。当時、私たちが作った小さな組ねぷたは、明かりにろうそくを使っていて、運行中に燃えてしまった苦い経験があります。おまわりさんも寛容でしよた。
小田桐
昔は子供たちがお寺に行って花輪をもらってきて、そこから角材を取り出してねぷたを作った記憶があります。
合同運行という運行形式も、これはこれでいいのですが、町内運行が原点ですので語り継いで行きたいし、七日日くらいは町内運行をしてもいいともいます。私は、ねぷたをしたくて弘前青年会議所に入会した口です。当時のメンバーにはねぷた好きがたくさんいて、青年会議所でもねぷたを出していましたし、約70年前にねぷたの合同運行を提案したのも弘前青年会議所でした。

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4.ねぷたバガっ子について
三上
昔からそうなのかもしれませんが、小学校、中学校、高等学校と上がるにつれて参加者が減っていきます。気恥ずかしさや興味が他の楽しみに移っていくからかもしれませんね。昔はお囃子の指導者、先輩がたくさんいましたが、今はそういう人も減ってきているのではないでしょうか?
昔は例えば笛吹バガっ子は、笛だけ吹いていて、制作や運行を手伝わない人が多く見られました。要するに好きなことしかしなかったわけです。現在は人手不足もあって、オールマイティに何でもやってもらわないとねぷたが回らない状況でもあります。
手摺り鉦(ジャガラ)もそうですね。主催者がNOとすればいいものを、現状は放任しています。小さい子供も簡単にできるというメリットから、親御さんが買ってあげいるようです。
小田桐
中学生になると、笛を吹かずに太鼓を叩きたくなります。
ねぷたには、いろんな「バガ」がいます(笑)制作バガ、太鼓バガ、笛吹きバガ・・・。
うちの団体の笛吹(大人)は、昔は少なかった気がします。それから太鼓にまたがるのは昔はご法度でしたが、今は大型太鼓をはじめ、多くの団体で採用していますね。あれはどんなものでしょうか?
松山
うちの会では、太鼓を叩きたいのであれば、まずは笛を習得してくださいと指導しています。太鼓を笛に合わせてビシッと極めるには、笛を理解している必要があるからです。笛は太鼓の基本です。
小太鼓を担いで演奏する子どもたちもいますが、大人の太鼓とリズムが合わないという点で、一体感につながっていないことが気になるところです。

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5.ねぷた絵について
三上
平川市の大型ねぷたは水墨画風でインパクトがあります。現在の弘前ねぷたの絵は、綺麗すぎるような気がしています。昔はもっとドロドロしていましたよね?地域婦人連合会からクレームが来たこともありましたね。生首や鮮血という表現は教育上悪いということのようです。
小田桐
今は生首を持った女性の絵などを見送り絵として書かせることは難しいと思います。女性のオッパイもクレームが来てました。本当は、鏡絵と見送り絵のギャップもまたねぷたの見どころなんですが・・・。
松山
これは怖いけど見てみたいという、気持ちの葛藤があり、ねぷた絵には欠かせない要素でしたね。
描く紙もだいぶん高品質になりましたね。ロンテックスというねぷた絵専用の紙は、鳴海の紙屋さんが作らせたものだそうです。
扇ねぷたの折返し部分の木をなくしたのはうちのねぷたが最初です。木綿のサラシを使って補強しました。
前田
長谷川達温の絵は、墨書きの線に力があって好きでした。
染料がよくなったのも一因ですね。昔の染料は今ほどカラフルではないので、どす黒い感が漂いがちでした。
奉書紙を貼り付けるのが大変でした。剥がれたり、ノリがついて型になったり。

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6.ねぷた後の鏡絵などの保存について
大中
うちは八嶋先生に預けています。誰彼にあげてしまうと、やがて所在がわからなくなるのを防ぐためで、会のメンバーが使いたいときい引っ張り出します。
三上
うちは弘前市立博物館に寄贈しています。三浦呑龍さんが前博物館長だったこともありますね。
松山
北海道の中学校に寄贈したこともあります。
小田桐
毎年自由に、欲しい人にあげています。また来年、ねぷた絵はできるので、保存しようという事になっていません。そもそもは、七日日に川で流していたものですからね。

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7.お酒について
小田桐
今の弘前ねぷたでのお酒縛りは厳しすぎると思います。いずれ、ある程度、各団体が責任を取れる範囲でお酒をOKとしてほしいですね。
斜里ねぷたでもお酒を飲んで参加する人いましたよ。勢いづけのためにはお酒は必要でしょうし、シラフでは大きな声は出せませんよね。
他県のお祭りでも、堂々とお酒を飲んで勢いをつけているのも、テレビで普通に見ることがありますので、弘前ねぷたもそろそろ解禁してもいいんじゃないでしょうか?
前田
日本酒の一升瓶をもってラッパ飲みしながら運行している人もいましたよね。
松山
弘高ねぷたで、ヤカンの中身は日本酒だったというのは本当です(笑)
三上
尾島ねぷたでも見られましたね。昔は、運行前にすでに酔っ払ってしまう輩もいましたが、あれはダメですが、多少であれば景気づけにもなっていいと思いますよ。
お酒を飲んでも、きちんと責任を取れること。この一言に尽きると思います。

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8.運行時間やねぷたが嫌いな人いついて
小田桐
運行時間の22時終了。何とかならないものでしょうかね?それから昔ほど、ねぷたバガがいなくなってきたように感じています。
ねぷたは、赤ちゃん→子供→青年→大人→老人まで全世代の一大イベントだと思っています。小さいうちに経験すれば、一生楽しめて、心の拠り所となる行事だと思います。
三上
ねぷたのある町内に後から入居してきて、ねぷたのお囃子などがうるさいって文句をつける人がいますが、あれってどうなんでしょうか?
松山
ねぷたは好きな人がいる一方で、嫌いな人もいますよね。
赤ちゃん、子供がねぷたに参加していると、あの大きな太鼓の音の中でも眠ければ寝ちゃいます。なおかつドンコドンコのリズムは体に刻み込まれていき、怖がりませんね。
小田桐
ねぷたの伝承すべき点はきちんと伝えていく責任が私達にはあると思います。ダメなことをすれば厳しく叱ることもその一つです。
町会のオリジナルなお囃子でいいと思いますよ。昔はお囃子を聞けばどこのねぷたが来たのかすぐに分かったくらいです。現在はお囃子が統一されたことで個性が出しづらくなってきていますね。
参加団体協議会は、ねぷたは何のためにあるのか?をマスメディア等を通して広報していくことが大事だと思います。その際は、ねぷたが嫌いな人への配慮も必要でしょうね。

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9.今年の新型コロナウイルス禍について、各町会での動きは?
大中
新聞等でご覧の通り、町会が主催してねぷた運行をします。私達ねぷた団体のメンバーはそのお手伝いという位置づけで参画します。
小田桐
8月7日に、広場でキャンプファイヤーをやり、その側に小型ねぷたを展示したり、子どもたちに引っ張らせたりしようかなと考えています。私が町会長ですので、責任感をもって実施する予定です。大中さんとこの様に、各団体もそれぞれが自主的に活動を考えたほうがいいと思いますよ。子どもたちの思い出を作るためにも必要な行事だと思っています。
松山
弘前市の方で、駅前から土手町にかけて金魚ねぷたや担ぎねぷたを飾り付けるような事業を計画中と聞いています。それを町会にもひろめて、各団体がそれの制作を担えれば良いと思うのですが、活動の自粛要請があるので身動きがとれないというのが現状でしょうか。ちなみに、うちの町会でも小学校でねぷたの展示などを検討中という段階です。
このようなご時世だからこそ、おまつりが必要なんじゃないでしょうか?ねぷたは無病息災を祈念していますし。
このまま何もしないと、本当に新型コロナウイルスに負けたことになります。そうであってはならないと思います。
前田
ねぷたはいつの時代も、お上(行政)からやれと言われてやるものではなく、ねぷたバガたちがやっちまうものだと思います。やっちまうことがねぷたの心意気じゃないでしょうか?このような年のねぷたの痕跡を残すべきだと思います。
三上
いいですねぇ。うちは休止状態ですね。町会からもやってはどうかという意見が出ていないようです。
そうですよね、新型コロナウイルスの年でもねぷたをやったなぁという記憶は、老若男女に鮮烈に残ると思います。そのためにはねぷた団体だけで動くのではなく、町会も巻き込んだ方がいいと思いますよ。
ねぷた運行時には、我々は子供を預かっています。ちゃんと子どもたちをお返しする責任があるので、ダメなことをしたら子供を叱ります。その際、親からクレームが来ることがあります。

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10.集合場所、集合時間について
松山
16時でないとダメだとか、世知辛くなってしまった感があります。
小田桐
時間が16時からとがんじがらめな状況のため、早いものがちな状況に陥っており、待機場所入り口では渋滞が生じたりしています。こちらの待機場所で5番まで、あちらの待機場所が6-10番までとか工夫できないものでしょうかね?

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11.弘前ねぷたまつりコンテストについて
小田桐
審査は2回するとか、審査方法も考え直してはどうでしょうね?
ねぷた絵師のプロの絵に対し、点数をつけるのは難しいと思います。
審査員毎の色も出るでしょうし、観光客の意見も繁栄できる審査の仕組みを導入してほしいです。ねぷたは賞のためだけではなく、町内の健全育成という目的もあります。
前田
審査項目に「構造」ってありますが、前もって構造を見なければ審査のしようがないと思いますよ。SNSを使った一般投票もあってもいいのではないでしょうか?
松山
現行の採点方式で、減点方式が主流のようですが、加点の要素を高めてはどうでしょうか?
三上
一般人の審査への参画もありだと思います。お囃子部門賞とかもあってもいいですね。昔は東照宮でコンテストやってましたね。
大中
弘前ねぷたまつりコンテストは、目的が重要無形民俗文化財である「弘前のねぷた」を維持するためという大義があり、なかなか内容を変えることは難しいかもしれません。そうであれば、当協議会がこのような賞を主催してもいいかもしれませんね。

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12.協議会の会長となった経緯、協議会の行ってきた事業など
松山
桔梗野小学校にねぷた小屋を設置してほしいと考えていましたが、ねぷた団体としては押しが弱かったと記憶しています。協議会に加盟し、役員を務めるなど社会的信用を積んだことで学校としてもねぷた小屋を敷地内に置くことを認めてくださりました。そういうご縁もあり、小田桐さんから2代目会長を引き継ぐこととなりました。出陣式を主催するのは私の提案でした。
小田桐
ねぷたの運行奨励金についての要望を、協議会から常に上げており、それが現在の成果に結びついていると思います。
前田
学校開放という名の下、進められてきましたが、大阪の事件がきっかけでそれも厳しくなった時がありました。協議会ではそのような中、学校側に理解を求めてきて、現在もねぷた小屋が学校内に認められているという経緯もあります。

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13.協議会の今後の活動について
大中
合同運行のあり方とともに、昔ながらの町内を廻るねぷたについて見直す時が来ているのかもしれませんね。いろいろな方から昔ながらの方法を聞き、それらを協議会として推奨していくような事業があってもいいと感じました。
小田桐
門付け(お盆をもってお捻りをもらう行為)などは昔からあるので、合同運行でもやってみてはどうでしょうかね?盛り上がると思います。桟敷席でのサービスは大事だと思います。それによって運行が遅れるということに対して、検討の余地はありますが。
前田
お花見のオートバイサーカスで、お捻りがあるとパフォーマンスをしてくれるようなノリですね。
三上
桟敷席でねぷたを回すなどのサービスはあって然るべき。先頭と間があくので、追いかけていくのに工夫がいります。

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14.七日日の意味について
小田桐
ねぷた流し、眠り流しが原点。川で骨を洗い流すといことで、焼くのとは意味が違うと思います。
流し踊りの復活があってもいいと思います。昔は花笠(手にボタン花の飾り)、おしろい(鼻白ハナジロ)をつけて参加しました。ハナジロが参加後のお土産をもらえる証となりました。
七日日を市民の休日としてはどうでしょうか?昔はお店などはおやすみでした。
昔のねぷたの様子をもっとお年寄りから聞いて、各団体はそれを七日日に再生・再現するような取り組みがあったらいいと思います。7日の合同運行や町内運行で全ての団体が行いますよとアナウンスすれば、観光客に対して門付けのようなことをしても失礼にはならないと思います。昔のねぷた運行を伝承する日として七日日を位置づけてみてはどうでしょうか?
原点をしっかり押さえ、それを次世代に伝える。あとは若い人たちが何をやってもよいのではないでしょうか?
今後のねぷたですが、昭和初期のように、蓄電池型のねぷたが台頭するのではないでしょうか?LED化が進み、消費電力量が押さえられるのであれば、大型の発電機を搭載する必要性がなくなります。そうなると、軽量化がはかられるなど、ねぷたも変化していくかもしれませんね。
三上
ねぷたも時代とともに変わっていく部分と、変わらない部分があると思います。参加団体協議会として、これらを啓発していく事業を行うことも、有意義だと思います。
松山
ねぷたの原体験も人によって様々です。懐かしさも含め、人から原体験を聞き出し、後世に残していくことも大事です。(記述、音声など)
前田
変わらないのは気持ちだと思います。形よりも気持ちが変わらないことが大事だと思います。
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この後も、話はつきませんでした・・・。
3時間半の音声はこちら YouTubeの静止画で音声を聞くことが出来ます)
以上

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