2018年6月14日18時より、弘前市立観光館において、弘前ねぷたフォーラム(春)が開催されました。
基調講演は桜田宏市長のねぷた歴45年について、熱く語っていただきました。
また、がほんずの石川さんより、合同運行300周年などの記念事業を行ってはどうかという提案もありました。弘前藩庁日記(御国日記)によると、1722年に津軽信寿公がねふたをご高覧されたという文献が一番古いので、それを基準とすると、2022年にねぷたの合同運行300周年を迎えることとなりますね。

ねぷた運行に関する主な歴史文献は
1682(天和2年)弘前八幡宮祭礼の際、神輿の露払いとして山車が初めて運行(後の弘前の組ねぷたや各町会の運行順序に影響を与えた)
1720年(享保5年)7月6日 「御国日記」より
 「今晩、第5代藩主・信寿(のぶひさ)公が、新寺町の報恩寺で”眠流”をご覧になる」
 ※”眠流”は”ねぷたながし”と発音し、夜に子どもたちが灯籠をもって歩いた可能性が高いと推察される
1722年(享保7年)7月6日
 「6日、5代藩主・信寿公は午前11時に紺屋町の織座で”袮ふた”を高覧。その順番は1番 本町・親方町・鍛冶町、2番 茂森町、3番 土手町、4番 東長町・本寺町、5番 和徳町、6番 紺屋町、7番 亀甲町、田茂木町、8番 荒町。。紺屋町から春日町へと向かう流れで、信寿公は夜五つ(20時)頃に帰られた。」
1756(宝暦6年)津軽信寧 (つがる のぶやす)が、三の丸・御膳屋敷で町々のねふたを高覧
1828(文政11年)津軽信順(つがる のぶゆき)が、「金木屋」の糸取り人形ねぷたを高覧
1936(昭和11年)秩父宮両殿下、亀甲橋上特設舞台(テント)でねぷたをご観覧。石郷岡市長が説明、三十数台のねぷた(うち組ねぷた17台)が行進(弘前新聞 1936年8月22日付)
1951(昭和26年)弘前青年会議所主催でネプタコンクールを実施 合同運行の形をつくる。当時市長は桜田清芽氏で、市長からの依頼を受けてねぷた審査を請け負った。